ロバの耳☆

たまに書きたいことをだらだらと書く。

『天気の子』を観た。

端的に言ってやばい。

もう俺も年をとってしまったので明日までテンションを持続できているのかがわからない。なので多少まとまらなかろうが、今書く。ここのところは年くって「気持ち悪い文体はセーブしよう」と謙虚な気持ちを抱いていたのですが、どうにもこうにも俺の性根は気持ち悪いオタクのままだったということです。さあ、青春が戻ってきたぞ。ここからは本編の話に入るので、先に一個だけ。上映中、俺の隣でぺちゃくちゃ喋ってたカップル、男の浮気で破局しろ。

はい、まずは私の新海誠歴から。『雲の向こう、約束の場所』で首を傾げ、『秒速5センチメートル』で監督のことが嫌いになり、『星を追う子ども』がノーコメントで、『君の名は。』で病気が治ったのかと見直した感じです。どんだけ上からなのか。すみませんでした。前作が80点くらいだったんですけど、今回は120点くらいあります。まずお話や演出や絵面の綺麗さで90点。そっからテーマで100点満点を突き抜け、脚本の雑さでマイナス、それをショタの可愛さが補填してとんとんです。いつの間にか丁寧語に戻ってんな。感情が整っていない証拠だ。

直接的なネタバレはしないけれど(※ごめん後から見直したらそこそこしてた)も、こういう興奮の仕方をしている人間がいるという時点でお察しかと思う。『天気の子』はセカイ系ど真ん中の作品でした。しかしこれが単にセカイ系の焼き直しというのであれば、まー、懐かしさはあろうが、「じゃあイリヤ読むね」で終わりだったろう。『天気の子』が最高なのは、セカイ系における、あの、閉塞感を突破していることだ。今の時代にセカイ系をもっかいやる意味をまざまざと見せつけられた。

俺はイリヤ最終兵器彼女ハルヒも好きだが、かといって全面的に肯定できてはいなかった。二人のパワーがセーブされていたためか、二人の答えに妥協が含まれていたからだと思う。本当に個人の趣味ではあるのだが、俺は意思の強い人間が大好きなので、「そこ何とかなるんじゃないの?」と、妥協と諦観には少なからず違和感を覚えてしまうのです。『秒速5センチメートル』が嫌いなのはそういう理由です。

で、そっからの『天気の子』ですよ。俺が観たいのはこういうやつだ。「『天気の子』は以前の新海誠流童貞パワーに溢れている」というような感想をどこかで見かけたが、実際のところ『秒速5センチメートル』と『天気の子』は真逆に位置していると思う(童貞パワーには溢れている)。

二人に選択肢が用意されていたからこそ選べた答えではあるのだが、いま、この結論に辿り着けたのは、ゼロ年代の頃よりも、考えの多様性が認められる世の中になってきたからだろうなと思う。だから俺は須賀の考えも肯定できるし、帆高の決断も肯定できる。やりたいようにやれば良い。ああ、こういうことだ。こういうことなのだ。俺はこういう感想がブログに書けている、いま、この瞬間が、幸せである。ありがとう新海誠。ショタ最高だった。