トムの死をリセットするか
トムが死んだ。
ロボトニーコーポレーション就任3日目のことだった。
パニックを起こしたので警棒で殴ったら死んだ。
とはいえ、これはゲームなので私はすぐさまリセットして当日の朝へ。
今度はトムの心のケアを怠らず、職員の作業を交代制にした。トムは死ななかった。
で、本題なんですけど、私はこのやり直しの一日をプレイしている間、とてつもなく辛い気分になります。「やり直し」というのが無駄な時間に思えて苦痛なのです。まぁゲームに限らず、仕事でも何でも、同じ作業を繰り返すというのは辛いものです。
ゲームキャラクターの死(特に、避けられる死)というのはロボトニーコーポレーションに限らず、ゲームをプレイしていればちょくちょく遭遇するものだと思います。先日の記事に書いたBLACKSOULSでもそうだし、一番強烈な記憶を残しているのは、まーファイアーエムブレムでしょう。
キャラクターが死んだ時、「リセットするか否か」という選択がプレイヤーに与えられます。大抵、私はリセットする方を選び辛い思いをするのですが、その選択をしてしまうのは、キャラクターの死がゲームの難易度を上げるから、もしくはゲームの難易度を上げるように見えるからです。
で、この、苦痛な時間を過ごすことになるゲームを自分は避けがちなんですけど、同じキャラクターが死ぬのでも、まったく不快感のないゲームもあります。
その違いは何かと考えたんですけど、簡単な話で、キャラクターの死に対してプレイヤーへのケアが為されているか否かだと思います。
例えば、キャラクターの死によってプレイヤーがボーナスを獲得できる。
例えば、そもそもキャラクターの死をプレイヤーの一存で決められる。
例えば、キャラクターが死のうがどうなろうが全くプレイに影響なくゲームが進行する。
喪失感もゲームの一部という考えもわかります。とはいえ、喪失感を味わうだけなら映画でも良いわけですし、そこは何らかの工夫が欲しいなあ、と思います。「こんなときトムがいてくれたらなあ」「うるせえトムは死んだんだ!」→つらい。
繰り返し作業の辛さを経験させることによって、プレイヤーがより良いプレイをするための動機とする設計なのかな。だとしたら、アホなこと書いて申し訳ないです。アホなこと書いて申し訳ない。
はい。おわりです。
結論もなく中途半端ですが、近頃ずっともやもやしていたことを書けたので満足しました。
ロボトニーコーポレーションは楽しいので継続。
SCPからありったけのエネルギーを抽出するぞ!