【ネタバレ】『かぐや姫の物語』における罪と罰について解説
※ネタバレ注意
友人がわからないとのことだったのと、映画感想掲示板など眺めると理解されないまま批判されているのが嫌だったので。
間違ってたらごめんなさい。と、臆病なのであらかじめ保険をはっておく。
ご意見あればコメント欄にお願いします。
はい。
端的に表せば、
罪=汚れた地である地球に憧れたこと。
罰=汚れた地である地球で生活すること。
です。かぐや姫もさらっと言ってた気がする。
元々かぐや姫のいた月というのは天上界(仏いるし天女いるし)のことで、そこから見ると地球というのは汚れた地。下界なので。さらに言ってしまえば、生を謳歌すること=汚れた行為。天上界では、下界で、生を謳歌してはいけなかった。
なので、天上界の存在からしてみれば、地球で生きることは十分にかぐや姫の罪に対する罰となりえた。罪人を汚れの中へ放り込む。
けれど、かぐや姫にしてみれば、その罰は願ったり叶ったりだった。地球=汚れに憧れたかぐや姫にとっては罰なんでもないから。
で、そこで誤算があるとすれば、かぐや姫が自らの憧れを忘れてしまっていたことだった。地球に堕とされるにあたって、清浄な世界である月の記憶は取り払っておくのは道理。罰として汚してやろうというのに、清浄なものをかぐや姫の中に残しておく理由はない。
地球に堕とされた後。運良く、かぐや姫は翁に拾われ、生を謳歌することができた。翁と媼と捨丸たちの元での生活はかぐや姫にとって幸せだった。
けれど、翁は、現在の自分たちの生活がかぐや姫の幸せだとは思わなかった。まさか天上人=姫が自分たちの生活に憧れを持っているだなんて思わないでしょう。なので翁はかぐや姫を都での屋敷生活に引っ張っていった。この屋敷というのが、疑似的な天上界にあたる。つまりかぐや姫は生を謳歌できなくなった。汚れから離れた。
最終的にどうなったかというと、かぐや姫は屋敷生活に嫌気がさして月に助けを求めてしまった。月から見れば、汚れに耐えきれなくなってかぐや姫が自らの罪に対する許しを請うたかのように見える。実際は逆だけど。とにかく、かぐや姫の罰は終わりを告げた。
かぐや姫は、そこでようやく自らの罪と罰を思い出す。けれど時すでに遅し。罰は終わる。かぐや姫は最後の一瞬だけ捨丸と共に生を謳歌し、月への迎えを待った。
月から天上人がやって来る。翁や媼との最後の対話(再三だけど、これは月からすれば汚れと接する行為)。これを天上人に「汚れてしまいます」と窘められたかぐや姫は「生を謳歌することは汚れでもなんでもない」と啖呵を切る。つまり、自らの犯したとされる罪と罰は、罪と罰なんかじゃないというのを訴えた。しかし天上人からすれば「かぐや姫は汚れてしまったんだな」とうつるから、記憶を消すことで、かぐや姫の汚れを取り払った。地球へ堕とされた時と同じ。罰として清浄なものを払い、罰は終わったので汚れたものを払った。
そして。自らの本意とは別に、かぐや姫は月へと帰っておわり。
以上です。
かぐや姫の物語。超面白かったね!
※終わりにもいっかい。間違ってたらごめんなさい。